『個人規格の教育』

新聞の社説に、10年前に米国でドロップアウトした子供に「なぜ?」と聞いて回った先生について書いてありました。子供たちの答えは「16歳というだけで、幾何をやらされる」「無視されるし、質問をしても答えが返ってこない」等、学校への不満を通して自分を認めてほしいという子供の思いが伝わってきたこと、そしてこの先生は「手をかけなければいけない子供に十分な手がかけられていない。」と感じたことが掲載されていました。
現在日本でも小、中学校の不登校13万人、高校中退11万人、そして学級崩壊等が起こっています。学力偏重教育を行ってきた結果どうしてもついていけない子供たちが大勢出てきます。そしてその子供たちに対する先生、学校、親、地域社会の目が学力偏重教育の延長線上にあり、社会の落第者と見る傾向があったという事実があります。ですから落ちこぼれ(ドロップアウト)という表現が出てくるのです。
教育の本来の目的は、社会を担う大人へ成長する子供たちにそのために必要な力をつけさせることではないでしょうか。社会を担うとはどういうことでしょうか?社会の構成員としてその人が持つ才能や技能、特質を生かすことではないでしょうか。確かにそのために学ぶ場としての学校があります。でもこの社説に「国や企業に必要な人材育成のため、効率優先の画一的システムが優先され、一人ひとりの可能性を開くことは二の次にされてきた」と述べられているように、個人のニーズにあった教育がなされていなかったと考えられます。
21世紀の教育は、個人規格の教育です。子供が望むことを実現できる学習力をつけさせ、道を示し、子供が自分の意志で社会を担う社会人として自立できるように援助していくことです。もうこの時代が来ています。



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