遠足や運動会など人が大勢集まるときには、決まって気分が悪くなります

「5歳の女の子です。1人っ子で現在幼稚園に通っております。ところが遠足とか運動会とか、人が大勢集まるときには、決まって気分が悪くなります。平素はとても元気なのですが、神経質なところがあるのです。皆さんの前で私も何か気まずい思いをしてしまいますが、そういう場合、私はどういう態度をとったらよろしいでしょうか。神経質な子どもの扱い方は本当にむずかしいと思います。」

他人の目を気にする「しつけ」が多かったのでは

人の大勢集まるときに気分が悪くなるのは、緊張するからです。緊張すると、それが自律神経の中枢に影響して、失調状態にしてしまうので、いろいろとからだに変調を起こします。気分が悪くなるのはそのためです。こうした状態はなぜ起きるのでしょうか。それは他人の目を気にする「しつけ」が多かったことによると考えられます。

他人の目を気にする「しつけ」とは、例えば、「○○さんが見ていますよ」とか「○○さんに笑われますよ」などと言って「しつけ」をすることです。このような「しつけ」が多いと、他人の目を気にするような子どもになっていきます。他人の目が多ければ多いほど、緊張感が強くなるものです。

他人の目を気にする「しつけ」は欧米には見られないもので、わが国に独特な「しつけ」と言えるでしょう。欧米では、他人はどうあろうと自分でよく考えて行動するように子どもに教えます。それとともに、自分の考えをはっきりと言うように教えます。あくまでも「個」の確立が望まれているわけですが、わが国ではその点で、いつも他人の思わくを気にするように「しつけ」ているわけです。ですから、他人が自分をどう見ているかを気にしてしまいますし、他人から悪く思われたくないということから、気がねが多く緊張が強くなってしまいます。

その点で、お母さん・お父さんの生活の仕方が問題になります。とくにお母さんが他人の目を気にして生活していますと、それが言葉の端々に現れるからです。他人が自分をどのように思っているかを気にすることが多く、他人から笑われないように行動しようとします。そうなると、絶えず緊張していなければなりません。それと言うのも、他人の見方が非常に多様だからです。すべての人に笑われないようにしよう、非難されないようにしよう―ということになれば、他人が大勢いるところでは緊張の連続となってしまいます。それが、子どものことで現れますと、子どもが他人からよい評価を得るように、他人から非難されないようにあれこれ注意するでしょう。子どももそれを感じ取って、お母さんと同じように緊張するようになってしまいます。

見栄を張らず、ありのままを大切に

その点で、私は、「ありのまま」をいうことを大切にしています。どうせ人間は完全なものではないし、たくさんの欠点をもっているから、それをそのまま認めてしまって、他人に対してもそれをそのまま表現しようという提案です。それに対して、もちろん、非難する人がいるかも知れませんが、その非難はちゃんと受け取って、それが自分の人格の中でどのような意味をもっているかを考えてみようというわけです。同じことをしても、ほかの人はほめてくれることがありますが、それも自分の中に取り入れていこうということになります。

自分をよく見てもらおう、よい評価を得ようと思いますと、どうしても自分の心をありのままに表現できなくなりますし、よいところを見せようとして無理な行動を取るようになります。いわゆる見栄を張ることになりますし、そうなると緊張してしまいます。

見栄を張るお母さんと話をしていますと、小さいころからいわゆる優等生であった人が多いのを感じます。優等生というのは、勉強を浴して学業成績もよく、先生や親たちの言うことをよく聞き、ルールをよく守り、整理整頓がよく、宿題もよくやり、忘れ物をしないといった子どもです。また、まじめです。このような子どもが「よい子」をして高く評価されるのは、封建社会の意識をもっている教師や親が今日もなお多いことを物語っています。しかし、子どもの自発性の発達には「いたずら」や「反抗」が必要ですし、おどけたりふざけたり、さぼったり、忘れ物をしたりすることにもそれぞれ意味があるのです。優等生として小学校入学以来「申し分なし」と先生に言われてきた子どもが、中学2年生のときに登校拒否となり、家庭内で大暴れをするようになったのですが、そのときに、「今までのオレはうそだった」と叫んだのは印象的です。優等生というのは、先生や親たちによってうそをつかされている子どもとも言えるのです。子どもらしい子どもというのは、いろいろと未成熟なところがあり、「申し分のある」子どもです。


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