気に入らないと大声で泣きます。アパートで泣かれると弱く、つい言うままに

「来年の春は幼稚園に入れたいと思っている4歳2ヵ月の男の子です。ところがちょっと気に入らないことがあるとすぐに泣き出して大声を立てます。アパート住まいで近所にご迷惑をかけてもと、おばあちゃまが心配して、つい言うことを聞いてしまいます。お友だちと遊んでいてもその通りで、思うようにならないと泣き出しますので嫌われてしまいます。こんなことで来年幼稚園には入れるでしょうか。」

泣かれたときの親の態度が人格形成の鍵です

子どもは、赤ちゃんのときから、泣くことによって自分の要求を親たちに聞いてもらおうとします。お腹が空いたとき、痛いとき、眠くなったときなどに泣くのは、生理的要求を満たすためです。

しかし、だんだん物質的なものへの要求を満たすために泣くようになります。お菓子が食べたい、ジュースが飲みたい、玩具を買いたい―と言って泣くわけです。そのときにはすでに言葉が発達し始めていますから、「お菓子」「ジュース」などと言うでしょう。それに対して、お母さんやその他の家族がどのように対応したかが、その後の子どもの人格形成を左右します。

もし、子どもの言いなりに(要求のままに)それを満たしていると、子どもは泣くようなことはしませんが、自分の要求は何でも聞き入れられるものと思い込み、わがままいっぱいな子どもになり、家庭外では全く適応のできない子どもになってしまいます。幼稚園に入ると、そこでは自分の思い通りにはなりませんので、幼稚園嫌いになってしまいます。

おそらく、多くの家庭では食事時間が決まっているでしょうし、おやつの時間も決めているでしょう。ところが、その時間でもないのに子どもがお菓子を食べたいと言い出したらどうするでしょうか。子どもにけじめを教える意味で、「時間になったらあげましょう」と言うでしょうし、そうしなければけじめをつけることのできない子どもになってしまいます。ところが、子どもはその年齢が低ければ低いほど自分本位ですから、すぐに食べたいと言って泣き出すでしょう。そのときに、お母さんや家族のものがどのような態度を取るかによって、その後の子どもの人格形成が左右されます。子どもにどんなに泣かれても、時間がきたらあげますよ、それまでは待ちましょう―という態度を貫けば、だんだん聞き分けのよい子どもになり、けじめをつけることのできる子どもになります。ところが、泣かれるのはうるさかったり、かわいそうになったりして、「じゃあ、1つだけよ」と言って与えてしまいますと、子どもは泣きさえすれば自分の要求が通る―という確信をもってしまいます。「1つだけ」とか「最後ですよ」と言った大人のほうからの要求は全く聞き入れてはくれません。それがくり返されれば、聞き分けのないわがままな子どもになってしまいます。そのときになって、わがままな子だ―と言って、子どもが悪いようにいい、叱ったり叩いたりする親たちが多く、そのような親たちが体罰を認めているのですから、子どもがかわいそうでなりません。

泣いても要求が通らないことをきちっと教える

つまり、子どもにけじめを教えない限り、子どもがわがままになってしまいます。わがままな子どもには「思いやり」は育ちません。「思いやり」のある子どもにする1つの大切な方法は、特に飲食物とか玩具などの物質的な要求を子どもから出されたときに、きちっとルールを作っておき、そのルールを子どもに守ってもらうように、大人たちがそのルールを守ることです。ですから、子どもが「お菓子をほしい」と言っても、それが時間でなければ、「3時にね」と言って、そのあとどんなに子どもが泣いても、応じないことです。それが1歳代に行なわれていれば、3歳になると聞き分けのよい子どもになっています。つまり、自分の要求を親たちに言うことはあっても―抑圧を受けている子どもは要求をしなくなってしまいます―ルールを示せば、それに従います。

4歳になっても泣き騒いで自分の要求をとげようとする子どもには、今きちっとした態度で接しないと、わがままはふくれ上がってしまいます。まず、お母さん・お父さんでよく話し合って、お年寄りの協力をどのようにしたら得られるか、その対策を立てましょう。アパートの人たちの協力を得るために、うるさくても1ヵ月間がまんしてほしいと申し出てみましょう。それも無理のようでしたら、お父さんの休暇が取れるときに、都会から離れたところで、思い切って子どもが泣いてもよいような状況を作り出しましょう。両親のかたい決意があれば、比較的短時日で泣かない子どもに変わります。


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