園のことを聞いても「忘れた」と言って、話しません。ちえおくれなのでしょうか

「満6歳の男の子で、今保育園に通っています。ところが保育園から帰ってきて、私が今日どんなおけいこしたのと聞いても「忘れた」と申します。お友だちに聞きますと「今日はこういうことをおけいこをした」とちゃんと答えますのに、うちの子はなぜ忘れたなどというのでしょうか。もう1つ、数も10まで数えていましたのに、今ではもう忘れています。ちえがおくれているのでしょうか。心配でなりません。」

否定的な気持で接すると、子どもは心を開きません

子どもとのじょうずなつき合い方は、お母さんのそばにいくと、話したくなるような雰囲気を作り出すことです。聞きじょうずなお母さんと言うことができましょう。子どもが園の話を「忘れた」といって話そうとしないのは、お母さんに対して話したくない気持の表れとみてよいでしょう。

どうして子どもがお母さんに話したくないのでしょうか。それは、お母さんが子どものことを「ダメな子」と思っているからだと思います。つまり、保育園でどんなことをしたの―と聞くお母さんの気持の裏には、きちっと勉強をしていないのではないという疑いの心が動いているのではないでしょうか。そうした疑いの心をもっている人に対しては、子どもは話をしないでしょう。お母さんに聞かれても、子どもにとっては、うるさいなあ―という気持しか生じないでしょう。

また、保育園が子どもにとって面白いことの少ない場であるかもしれません。園の先生が考えた課題を子どもたちに押しつけるような保育をしている園の中では、自発性の発達している子どもは、楽しい思いをしていません。子どもに課題を押しつけている先生は、それに従わない子どもを叱っていることが少なくないのです。ですから、そのような子どもは、家に帰ってきたときにお母さんから園の様子をあれこれと聞かれても、話す気にはなれないでしょう。その点で、お母さん自身のことを考えてみてください。お母さんがどこかへ出かけたときに楽しい思いをすれば、家に帰ってきて夫やその他の家族にそのことを話すでしょうが、つまらなかったり不快な気持を味わったときには、それらを話す気にはならないでしょう。

お説教や批判が多過ぎるのでは・・・・・・

子どもがお母さんに対して園の様子をあれこれと話すような親子関係は、ふだんから、お母さんが子どもの話すことをじっくりと聞き、それを子どもも楽しみにしていることによってできます。そのような母子関係の中でのお母さんは、子どものを叱るようなことは少ないし、子どもの言ったことに対してよいとか悪いとか批判めいたことを言いません。ですから、子どもは安心して何でも話すことができるわけです。また、お母さんが忙しいときであっても、子どもがお母さんのそばにきて「お母さん、お母さん」といったときには、一応は聞く態度を示し、そのあとで「このお仕事が終わったら、ゆっくりと聞かせてね」と言うでしょう。そして、それを忘れずに実行するでしょう。ですから、子どもは聞き分けのよい子どもになります。

このようなお話をしたのは、お母さんのこれまでの子どもへの接し方について、反省してみてもらいたかったからです。忙しいときに「お母さん、お母さん」といわれて、どのように答えたでしょうか。「今、忙しいからダメ!」「お母さんが忙しいのがわからないの」などという反応は、子どもにとっては拒否とも非難ともなります。「後で」と言ったのに忘れてしまうようなお母さんは、子どもから信頼されなくなってしまいます。また、「幼稚園の工作で先生からじょうずだってほめられたんだよ」と子どもが言ったときに、「うそでしょ」などとそれを否定するようなことを言わなかったでしょうか。園での参観から帰ったあと、「どうしてあんなに落ちつかないの?」とか「おしゃべりばかりしていたんだね」などとお母さんにとって気になった子どもの行動を非難めいて言ったようなことはないでしょうか。

子どもから園での様子を聞きたいならば、子どもが自分の気持をお母さんに話したいな―というようなお母さんになるために、どうしたらよいかを考えてみて下さい。それを考えるにあたって、これまでの子どもとの生活の中で、子どもの話をゆっくりと聞いてあげることをしてきたかどうかの反省が大切です。どのようなことを子どもが話しても、それをおおらかな気持で聞いてきてあげたかどうか。子どもと話をするときに、お説教が多くなるようなことはなかったか。知能のことが気になって、できがよいとかへたなどと批判するようなことが多くなかったか―などなど、子どもの立場に立って考えてみれば、子どもが不愉快になるようなことを一方的に言うお母さんだったことに気づくでしょう。

 

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