「私の子育て奮闘記」(8人の子どもを育てた体験記)
このページはメールマガジンに載せた「私の子育て奮闘記」を転載したものです。

 妻(優子、右下)と8人の子どもたち

No.002
わが家(才木家)は8人の子供がおります。私と妻は同年生まれ、妻が8ヶ月年上です。私が24歳、妻が25歳で結婚しました。それからもう22年の月日が経ちます。長女は21歳、一番下の子供は5歳の女の子です。2男6女。私の母も同居していますので、女だらけの家庭です。全員が同居していますので、全部で11人家族。世間の家族より少し人数が多いぐらい、であればいいのですが。
5年前にテレビの全国放送で『大家族の夏休み』という番組に、突然出演することになり、テレビ取材班が3日間狭い我が家で大取材。とても気を使い大変でしたが、楽しい一時でもありました。録画と生出演があり、テレビで放映されて親戚や友人から『見たよ。』コール。我が家の歴史の一幕です。
私は仕事で韓国に行くことが多くありました。日本の幼児教育を韓国で指導するために行っていました。韓国全土を講演して回りましたが、会場で『 子供が7人(当時)います。』と自己紹介しただけで、会場は大きなどよめきが起こりました。2時間講演をした後の質問コーナーでは、私が話した肝心な幼児教育に関する質問ではなく、『 日本は物価や教育費が高いのに、才木さんはどうやって7人の子供を育てるのですか?』という質問が、ほとんどの会場で出てきました。私は『授かったのですからその時には何とかなるでしょう。』と応えました。
現在も金持ちではありませんが何とか子供の成長に応えています。

 私と妻のツーショット  

No.003
結婚をした時に、私たちは子供は授かるだけ受けようと決めました。結婚してすぐに仕事の関係で神奈川県横浜市に住むようになりました。最初単身で横浜に行き、身ごもっていた妻は福岡県北九州市の妻の実家に残りました。長女はそこで産まれました。その時、私は産まれるかも知れないという知らせで北九州に行き、病院での出産の場に立ち会うことができました。産まれ出ようとする子供を見て、初めての出産で頑張っている妻を見て、心より感動し、夫として、父親として、しっかりしなくては考えたものでした。
出産に立ち会えたのは、長女の時の1回だけでした。後の7人の時は仕事があったり、病院や産院に駆けつける間もなく産まれたりと、超安産であったために、あっという間に生まれることが多かったからです。妻はいつも健康です。結婚してから出産以外で寝込んだのは、2〜3回ほどです。横浜でも、長崎に戻ってからも、子供が産まれる前の日まで、大きなお腹で前と後ろに子供を乗せて自転車をこぎ、長い坂道もスイスイと買い物に行っていたほどです。
8人も子供を持つと、結婚してから20年間はほとんどがお腹が大きいか、乳飲み子を抱えているか、小さい子供数人を従えているかの毎日でした。大変な苦労だと思います。でもそれを妻は成し遂げました。現在は一番下がもうすぐ6歳になり来年から小学校です。小さい子供の世話がなくなったら、あれをしたいこれをしたいとやりたいことをたくさん考えているようです。もう少ししたら一段落の『ご苦労様でした。』が言える時が来ます。

 長女ひかりとともに  

No.004
今年私の祖母が92歳で亡くなりました。母方の祖母ですが、子供が私達と同じ8人います。長男は72歳で一番下が48歳です。母は上から2番目で唯一の女。つまり7男1女ということになります。私にとって大勢の叔父がいることになります。昔はこの人数の子供は普通に見られた家族構成だったと思います。でも今は、違います。第2号で紹介しましたように現在7、8人以上いるとテレビも取材にくるほどです。私の友人にこれまた子沢山で9人の子供を抱えている家族がおります。(その奮闘記が書物になったようで今度紹介させて頂きたいと思います。)
さて、日本の出生率がだんだんと下がり、2000年の人口動態統計では、1.35人(一人の女性が生涯に産む平均の子供の数)となっています。ご存知のようにこのままの推移で行けば、今世紀中に日本の人口は今の約半分になる可能性もあると指摘されています。国力はやはり人口が反映してきます。このままでは、日本国がどうなるのか心配の面があります。
この点わが家は人口に関しては、日本に貢献したと心の隅で自負しておりますが、やはり現実は大変な部分があります。今は肉体的にも精神的にも、そして経済的にも一番の奮闘期ですが、大変な時期を越せば、楽になると思い頑張っています。それでもあと15年、一番下の子供が二十歳をすぎる頃までは頑張らなくてはなりません。
子供が多いと簡単には死ぬことができないのが祝福であり、難点でもありますね。

 次女のまりあと五女のあいみ(右)、六女のゆみ(左)

No.005
子どもが多いことの祝福は、大人になったら直面するであろう様々な苦楽を兄弟同士ですでに実体験できるということにあります。例えば、けんかすること、物を分け与えなければならないこと、助け合わなければならないこと、敵になること、味方になること、たたけば相手が泣くこと、たたかれれば痛いこと、挨拶をすること、手伝いをしなければならないこと、上の兄弟は下の兄弟の面倒を見なければならないこと、子守りをすること、下の兄弟は上の兄弟の指示に従う必要があること、反抗すれば泣かされること、片付けをしなければならないこと、やさしいとやさしくされること、厳しいと厳しくされること、みんなで笑うこと、みんなで悲しむこと、みんなで楽しむことみんなで苦しむこと、みんなではしゃぐこと、みんなで歌うこと、みんなで祈る気持ちになること、一人でないと感じること、一人で悲しむこと、一人で悩むこと、相談すること、相談に乗ってあげること・・・・
いろいろなことを家から出るまでに学ぶことができるのは素晴らしいことだと考えます。価値あることの一つは上記のような体験を通して自分の感情をコントロールし、自己を確立していくことだと考えます。
長女は現在21歳ですが、いつでも母親になれます。それだけ学んでいるということです。これが私たち夫婦が子どもに残してあげることのできる”機会”という財産だと思っています。決して子どもが少ないのはいけないと言っている訳ではなく、今在る家族でしかできない貴重な体験を子供たちに価値在るものとして提供する必要性を感じていることを分かって頂きたいと思います。

 妻と三女まみ  

No.006
私は長崎県諌早市出身で、家内は福岡県北九州市出身です。出会ったのは名古屋です。結婚してから神奈川県横浜市に約8年間住みました。昭和63年12月に子ども5人を連れて、私の両親と同居するために出身地である諫早市にUターンしてきました。この諫早市で更に3人の子供が授かりました。
現在長女は21歳で米国の大学に行っています。心理学を学びたいと留学浪人して昨年無事に入学しました。勉強は好きな方です。長男は今19歳です。受験で頑張って入学した公立高校を2年生の時に中退して働いています。彼は体を使って働くのが好きで、汗を流して生き生きとして働いています。次女は高校3年生、現在長女が卒業した学校の同じ学科に在籍し、今後は長女の後を追って行きたいようです。三女は中学3年生、四女は中学1年生、次男は小学5年生、五女は小学3年生、六女は年長さんです。
これだけの子どもを持って地元のサラリーマンではやっていけず、ここ13年間は大阪に本社がある企業や東京に本社がある企業で働きながら全国を走り回る仕事に携わってきました。住まいは長崎仕事場は全国という形でした。正に出稼ぎの構図です。仕事では良い時もあれば、大変な時もあり、楽しい時もあれば、つらい時もあり、元気な時もあれば、胃が痛む時もありました。でもどんな時でも私の心の支えは妻であり、子どもであり、家族でした。
「8人のお子さんがいると大変でしょう?」と言われることがありますが、8人いることが当たり前で、その前提で、「さてどうするか。」と考えます。これは子どもが一人の時も同じかなと考えます。長女は心の中で決めている結婚相手もいるようで、これから子どもたちが次々と私たち夫婦と同様な家庭を築くのだと考えると、その楽しみが8回あるのですから素晴らしい祝福だと考えます。
とにかく家族第一でこれからも貫き通していきたいと思います。

 六女ゆみ(右)と友だち   次男鉄生

No.007
私の夢の一つはこの世を去る時に100人の子孫に囲まれることです。子どもが8人いますので、それぞれが結婚したら義理の子どもが
8人で計16人。8組の子どもたちが5人平均で子どもを持ったら、孫の合計が40人。生きているうちに孫の15人が結婚して義理の孫が15人増え、ひ孫が29人生まれるとちょうど100人となります。
非常に夢見たいな話ですが、私が90歳以上生きていれば現実にその状況を見ることができるかも知れません。特に娘が6人いますのでみんなが早く結婚すれば可能性はとても高くなります。もし私が見ることができなくても家内は長生きしてそれを見るかも知れません。とにかく子どもが8人いることにより考えることができる楽しい夢です。
米国にはリユニオンと言って親族同窓会のような行事をする家族が多くあります。米国の友人で私たちより一人多い9人の子どもを持つ家族がいますが、彼らの家にはそれこそ100人近くの親族が一緒に写っている写真が玄関に掛けられていました。それらの親族が協力し合って子どもや孫たちの成長を見守っているそうです。子沢山の家庭で育つとその子どもたちも子どもをたくさん持ちたいと思うようです。その勢いで子孫が増えていくと、正に夫婦二人のカップルから一つの町ができるほどの人口に増えていく可能性があります。
私たちの子どもたちも年頃になって結婚という話題が出てくると、「私は子どもは5人くらい欲しい」とか「多い方が良いよ」と言う話が出てきます。私の夢を押し付けるつもりはありませんが、できるだけ子沢山を望む伴侶と結婚して実際に子沢山を目指して欲しいと願っています。
子どもは宝と言いますが、本当にそうだと思います。子孫が増えれば宝の山だと考えます。死ぬ時は何も持っていくことはできません。残していくだけです。私は財産は残せなくても子孫という宝を多く残していければしあわせだと思っています。

No.008
前回私の夢の一つはこの世を去る時に100人の子孫に囲まれることだと述べました。その時の計算が子どもが8人なので、それぞれの伴侶を入れて16人、孫が5人平均で40人。孫が15人結婚してひ孫が29人生まれてちょうど100人としました。
先日福岡で日本に奉仕活動で来ておられる老夫婦にお会いしました。互いに自己紹介をしたら、その方も8人の子どもがおられることがわかりました。全員の子どもが結婚しているということでしたので、孫が何人かを聞きました。そうしたら、孫が現在で41人と言われました。まだ結婚している孫はなく、これから孫が結婚し、ひ孫が生まれる段階に来ている状況でした。
私の夢を現実に見ているような気がしました。現在70の前半だと思いますが、そうしたら確かに90歳以上生きれば100人の子孫に囲まれる可能性があると確信しました。
その方はフリーマンさんと言われましたが、次のように話して下さいました。「結婚した時は2人だったがとてもしあわせでした。でも子どもができるともっとしあわせを感じました。そして孫ができるとそのしあわせは更に大きくなっていきました。現在のしあわせを考えると、2人の時のしあわせは小さなものだと感じています。」と。
家族が増えることは、そして子孫が増えることは、確かに大きな喜びを感じるものだと思います。日本の再建のためにも子沢山の家族が必要になります。子孫を持つ喜び、子孫が増える喜びを感じ、子沢山を実行される夫婦が増えるように願っています。


No.009
8人の子どもを眺めてみると、一人も似通った兄弟はいないようです。一人ひとり個性があります。もちろん顔や姿かたちも一人ひとり違います。これは不思議ですね。母の兄弟も8人で7人の男兄弟で女は母一人だと以前紹介しました。私に母方の叔父が7人いるわけですが、これまた7人が一人ひとり性格も体格も個性があり違うのです。もちろん全体を見ると兄弟だとわかりますが、一人ひとりは違うのです。
同じ両親から生れたら環境も同じなので同じ個性、性格の兄弟が出現しても不思議ではないのに、全く違うから不思議なのです。じっくり考えて私の答えとして出てきたのが、肉体は両親からもらったことは事実ですが、肉体に宿るもの、それを魂とか霊とか呼んでいいものかわかりませんが、子供たちはそれぞれ違った魂が宿っているということです。それでなくては説明がつかないほどなのです。皆さんはそう感じたことはありませんか。
ですから、子どもに一律の対応はできません。子どもによって感じ方や考え方が違うのですから。ですから、8人いると学ばされます。親が知恵を使わないといけないことが本当に沢山あります。大変ですが楽しいですね。観察していると面白いですね。これが一人っ子だと分からない。これは特権だと考えています。
子沢山の親がおられましたら、この点の見解を是非お聞きしたと思っています。

No.010
わが家はみんな本好きです。もちろん漫画本の子どももいますが。私も本を読むのが好きで多い年は毎月30〜50冊は購入していました。本代は高くつくので現在はもっぱら図書館通いになっています。善い本の中には宝の山が隠されています。人生に善い影響を与えてくれるからです。
8人の子育てをしながら、起伏に富んだ人生を送りながら、とても心に感動を覚えた詩がありますので、今回はそれをご紹介します。それは、「つまづいたおかげで」という詩です。

つまづいたり ころんだり したおかげで 物事を深く考えるようになりました
あやまちや失敗をくり返したおかげで 少しずつだが人のやることを 暖かい眼で見られるようになりました
何回も追いつめられたおかげで 人間としての 自分の弱さと だらしなさをいやというほど知りました
だまされたり 裏切られたり したおかげで 馬鹿正直で 親切な人間の暖かさも知りました
そして・・・・・身近な人の死に逢うたびに人のいのちのはかなさと、いま ここに生きていることの尊さを骨身にしみて味わいました
人のいのちの尊さを骨身にしみて 味わったおかげで 人のいのちを ほんとうに大切にする ほんものの人間に裸で逢うことができました
一人の ほんものの人間に めぐり逢えたおかげで それが 縁となり 次々に 沢山のよい人たちに めぐり逢うことができました
だから わたしの まわりにいる人たちは みんな よい人ばかりなんです
一人のほんものの人間である妻と出会ったので、沢山のよい子どもたちとめぐり逢うことができたと思っています。

No.011
わが家は現在図書館通いだと言いました。長崎県諌早市の図書館が最近建て替えられて蔵書も増え、とても立派になりました。家内と子ども達はそれぞれ図書カードを持っており、図書館通いをして沢山の本を借りています。良いビデオも沢山置いてあり、ビデオも借りてきます。無料だから良いですね。
この図書館通いは私が幼児教育を指導している時からお母さん方にはよく勧めていましたが、本当に助かりますよ。本を沢山読む子どもに育てると教育は成功だと言います。これは事実です。子どもたちが最終的に語彙数を増やすのは本からです。
良い本がたくさんある家庭を築きたいと願っていましたから、それは成功だと思います。但し、家が広いわけでもなく、逆に子どもが多くいますので、各部屋に本棚があり、廊下にも本棚を置いていますし、倉庫にも箱詰めした本があり、私の机の周りにも本が積んであるという状況です。これまで購入した本でそれ程ですから、図書館通いで借りても返すようなシステムが助かります。今回は図書館通いをお勧めしました。

No.012
以前に子供は一人一人が全く違う個性を持っていると書きました。興味を持つ内容も関心事も本当に違います。長女は本好きに育ち本を大量に読みました。勉強も好きで好奇心に富み何でもやってみようというチャレンジ精神が旺盛です。小学校4年生の時に、私の米国の友人(アメリカ人)の家に一人でホームステイに行きました。それから中学生の時もアメリカに行き、高校生の時に米国の大学に行きたいと言い出し、現在は米国の大学に在籍しながら休学して、米国で奉仕活動に携わっています。それ以外には、小学生の時から諫早少年少女合唱団にも所属して、海外公演もシンガポール、マレーシア、上海等に行きました。韓国にも中学生の時に行きました。本当に活発な女の子で諫早で琉球祭り太鼓のグループにも所属し、いろいろなイベントにも参加しました。現在21歳です。
長男は勉強が好きではなく高校を中退して働きました。とび職をしたり、営業をしたり、体を動かして働くことに関しては長女に負けず劣らず好奇心は旺盛です。現在19歳ですが、どこでも生きていける人間に育ちました。
この2人を見ても全く違った生き方をしています。始めはこれでいいのだろうかと親として思いましたが、それぞれの生き方があっていいと思い、それ以下の子供たちにはおおらかに見れるゆとりが出てきました。
先日仕事でお世話になっている方と子供について話していたら、非常に興味ある話をして下さいました。彼のお子さんが5才の時に本屋に連れて行って店長さんに子供を紹介して「この子が来て買いたいという本は渡して本代は私につけておいて」と言って子供には「読見たい本はここでもらいなさい」と言っておいたそうです。お子さんは小学生の間に講談社のブルーブックをほぼ全冊読んでしまい、他の本も大量に読んだそうです。結果としてお子さんは長崎の有名進学校を主席で卒業して東大へ進まれたと言われました。
子供が好奇心を持ち続け、やる気を持ち続けたら、それぞれの個性が生きる分野で羽ばたいていくことを感じました。

No.013
子供が8人いるとそれぞれの個性を認め易くなります。長所や短所が一人一人違うことがわかりますし、みんなを同じ方向に向けようとしても無駄だということがわかります。ですから逆に一人一人の個性を認めて、その子に合う方法で接していくことの大切さを学びます。子供を見ていて面白い現象も見つけます。年の近い兄弟姉妹どおしがよく喧嘩になります。小さい内は母親の取り合いから始まって、大きくなっても意見の相違で喧嘩になります。年が離れた子供どおしは上が下をかわいがりますから、仲が良いようです。とにかく家庭は、それぞれ個性のある子供たちが、親や兄弟姉妹との人間関係の葛藤の中から自分自身を見出す場所のような気がします。
でも大切なのは、そんな家庭の中でいろいろな出来事があったとしても、自分にはその中にきちんとした居場所があって、その中の一員であるという事実の認識です。そして家族のみんなから自分の存在を認めてもらっているという思いです。家族のみんなから愛されていると感じていれば一番いいのですが、喧嘩していると兄弟の中で好きになれない者や嫌いな者もその時々でありますから、とにかく自分の存在が認められていることを認識できればそれで安心するのではと考えます。家族の中で経験するあらゆる体験が、将来では自分の存在を証明するものとしてその子供自身の証となります。そして良き思い出となり、その子供の人生そのものとなります。
親として、家庭の中に子供一人一人の存在場所を作ってやることが仕事となります。そしてその場所で一人一人の子供たちが自分を羽ばたかせ、自分の場所を拡大していき、自己を確立していければ、家庭の存在価値があったと言えるでしょう。親の務めは子供たちの巣立ちを助けることですから、その特権に感謝しながら親としての存在場所をしっかり確保して、親としての存在を認めてもらえるように努力をしていかなければなりません。まあ、気を楽にして頑張っていきたいと思います。

No.014
妻は歌うのが好きです。特に、英語のポピュラーソングを歌うのはとても上手で、発音も外人に間違えられるほどです。ほめられるからまた歌う、ですからまた上手くなるという構図です。さてこの妻から8人の子供が生まれてきて、子守唄から鼻歌まで妻の歌を聴かされてきましたので、8人とも歌が好きに育ちました。なかなかみんな上手で家族で歌うことも結構あります。特に自動車で移動する時に、車酔いする子供がいるので寝ている以外は子供たちは歌っています。以前は童謡からポケモンの歌やNHKの「みんなの歌」に出てくる歌などいろいろな歌を歌いました。最近はモー娘の歌などレパートリーは様々です。
数年前に、家族で長崎県県央親子童謡コンテストに出場して、2年連続で優秀賞を獲得して商品と賞金をもらいました。これは家族の歌に関する思い出の一つです。そしてこの時の様子が以前に紹介した全国放送のテレビ「大家族の夏休み」に出演した時に放映されました。毎日楽しく歌っている家族ですと紹介されました。このように歌や音楽は我が家にとってはなくてはならない存在です。自動車で移動する時の子供たちの歌声は頭に焼き付いており、妻や私にとっては素晴らしい思い出です。
今週の「しあわせな家族関係を築くあの手この手」でも歌や音楽の効用を書きましたが、これは家族の絆を強めることにとても役立つものです。これからの私たち家族は歌を歌っていきますし、子供たちが家庭を持った時に歌や音楽のある家庭を築いて欲しいと願っています。
私の友人には子供を音楽好きに育て、プロにデビューさせたものもいます。我が家はそこまではいきませんが、楽しい思い出作りの一つとしてこれからも活かしていきたいと思います。

No.015
私は映画を見るのが好きです。特に洋画ですが、米国に出張に行くといつも5〜6本、多い時には10本ほど洋画のビデオを買ってきます。家にはディズニーのビデオから面白かった話題の洋画などが200本以上あります。家族で映画を見に行くと子供が多いだけに高くつきますので、ビデオはとても安くて家族で楽しめる娯楽です。先日は「ペイフォワード」という映画を見て家族で感動しました。このように、家族で楽しい映画、笑いのある映画、感動する映画、泣ける映画などをみてそれについて話し合う事もあります。子供たちがどのように感じたかを聞けるとても良い機会です。
前回は音楽のことを書きましたが、このように家族で一緒に共通の時間を過ごして、同じ話題を共有する事はとても大切なことだと考えています。その為には、良い音楽や良い映画を選ぶ事も大切です。目的を持ってそれらを提供する、もちろん単純に楽しむことも立派な目的です。以前アメリカに行った時にたまたま入った小さな店でブロードウェイミュージカルの最高峰のひとつである「キャッツ」のビデオを見つけました。それを見せたら家族の中で大当たりで、これまで何度それを見たことか。小さな子供たちは英語で「キャッツ」の歌をほとんど覚えてしまいました。これはわが家でとても収穫があったビデオのひとつです。
他にも子供たちが何度も見るビデオがありますが、その種類から子供たちの好きなものの傾向を知ることもできます。ディズニーのビデオはやはり素晴らしい影響があったと思います。ちなみに私が好きなディズニーのビデオは「ビューティーアンドビースト」です。これからも私の映画好きは変らないでしょうし、今後も善い影響を与える映画がたくさん出てくる事を願っています。

No.017
わが家では一週間に数度は家族での共有時間を取ります。ホームページで紹介しているファミリーミーティングの時間や一緒に読書したり、ビデオを見たり、外出する時間などです。ファミリーミーティングとは家族で話し合ったり、ゲームをしたり、本を読んだり、おやつを食べたりする時間を定期的に取って行う活動で、わが家では結婚した時に、家族の関係を大切にしようと話し合って始めました。毎週確実にできるわけではありませんが、できるだけ毎週一回行うようにしてきました。時には私の説教会になって子どもに嫌がられたりしましたが、子供にとっては家族が集まってゲームをしたり、特別な手作りのおやつを食べることができる時間ですから楽しみにしています。
時々はこの会ということで、食事をしに行ったり、映画を見に行ったりして楽しみのメリハリをつけました。とにかく忙しい親が確実に自分たちのために時間を取って過ごしてくれる時間ですから子供たちも自分たちの権利として実施を要求してきます。そうなればしめたもので、家族の一員として時間が共有できるのです。そして親子の絆が強められます。
これからもこのファミリーミーティングは定期的に続けていきたいと思いますし、子供が結婚してからもそれぞれの家族で続けて欲しいと思います。良い伝統が受け継がれていけば幸いだと思います。




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