「幸福な家庭のいしずえ」(ゴードン・B・ヒンクレー氏の話:米国の著名な思想家)
1984年1月29日に夫婦のためのファイヤサイドで話された内容で全米に衛星放送されたものからの抜粋:掲載許可取得済み

もう半世紀以上も前のことになってしまいましたが、私は、母に対する父の思いやりを忘れたことはありません。母は50歳という若さで亡くなりました。母が病床にある何ヶ月かの間、父はいつも母を励まそうと気を遣っていました。でも父のそういうところは、母の病気がきっかけではありませんでした。父の、母に対する深い思いやりは、それ以前からずっと私たち子供の心に深く刻み込まれていたのです。幸福な家庭生活を通して、父と母がお互い愛し合い、尊重し合い、尊敬し合っていることを、私たちは、教えられたのではなく自分たちで感じて知っていました。このようなイメージが持てたことは、何という祝福でしょうか。幼い私たちにとってみれば、まるで何か温かいものに包み込まれているような、そんな気持ちでした。そして私たちの記憶の中にある父母のそうしたむつまじい姿が、私たちの思いと行ないを形造ってきたのです。
 愛する伴侶と私は、結婚して半世紀近くになります。正確に言うと47年です。彼女もまた恵まれて、仲の良い両親のもとで、愛と信頼に包まれた家庭で育ちました。私は皆さんのほとんどがそのような家庭で育ってこられたことと思います。また、今の家庭でも幸福と愛に満ちた生活をしておられることと思います。しかしそうではない方も実に多くいるのです。

夫婦関係のもつれ
 私はよく、夫婦の間がうまくいかないということで相談を受けるのですが、その人々の口を通して語られるすさんだ生活ぶりは、信じられないほどのものです。ののしりの言葉や尊大な振る舞い、家の中で暴君のようになるご主人たち。信頼を裏切ること、結婚の誓いへの違背。そして離婚、涙、頭痛。つい先日もある女性から、悩みを事細かに書き連ねた手紙を事務所あてにいただきました。彼女は半ばやけっぱちになってこう尋ねました。「女性には、人間という種族の中でいつかファーストクラスに入ることが約束されているのでしょうか。それとも女性はこれから先もずっと、チャダーにくるまれた奴隷なのでしょうか。」(チャダーとはインドの女性が身につける質素なショールのこと。)そしてこう続けています。「私にとっては答えはどうでもいいのです。でも私には娘がいます。もし女性が、家に閉じ込められ、子供を産むこと以上の何かをいつの日か期待することができるのなら、娘たちに教えてやれると思うのです。」
 行間から、彼女がどれほどつらい思いをしてこられたかが読みとれました。彼女のように感じている女性が多いのではないでしょうか。みじめです。女性としての崇高な役割、状態とあまりにもかけ離れているからです。私は一つ一つの言葉の裏に、意気消沈し、感謝の言葉に飢え、今にもすべてを投げ出しそうで、しかも次に何をしていいのかわからないでいる妻の姿を見ました。また私は、夫としての神聖な義務を怠り、人の気持ちなど意に介さず、物事を素直に受け取らず、その生活態度によって、男性としての崇高な役割を否定している夫の姿も見たのです。落ち度はご主人だけでなく、彼女の方にもあったに違いありません。しかしご主人の落ち度は、彼女の場合よりも深刻であると思えてならないのです。

夫婦間の平等
 私の声が届く範囲以内の所にいる男性に申し上げますが、あなた方がどこにいようと、妻の品位を傷つけるような行いをしたり、妻に指図したり支配しようとしたり、家庭に合って自己本位で、しかも野蛮な振る舞いをしたりするようであれば、今すぐやめてください。改心してください。改心する機会があるうちに改心するのです。
 また始終不平を並べ、人生の否定的な面ばかりに目をやり、自分は愛されてもいないし必要とされてもいないと感じ、自分ひとりの感情と心にばかりかまけている奥様方にも申し上げます。何か不都合な点があれば、それを改善するよう努力してください。ほほえみましょう。魅力的でいてください。くよくよするのはやめましょう。いつも不平を言うだけで自分の欠点を直すために何もしないなら、幸福を追い出して代わりに不幸を招いているようなものです。権利を要求してかん高い声で騒ぎ立てるのはやめて、女性としての穏やかな態度を身につけてください。
 生まれ変わろうという心をもって今までの自分を捨て去り、新たな気持ちで幸せに満ちた生活を始めるのは今です。またお互いに傷つけ合っていた夫婦が、互いに許しを請い、共に尊敬と愛情を培うよう決心する時は今なのです。
 ここで、聖書を多少修正を加えて読みたいと思います。もちろん意味は同じです。「『創造者は初めから人を男と女とに造られ、・・・・・・それゆえに、人は父母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりの者はひとりの者となるべきである。』彼らはもはや、ふたりではなくひとりである。」(マタイ19:4−6参照) これは夫と妻が同僚となるように定められたと解釈できます。これは夫婦が平等であることを意味します。結婚は共同事業です。もちろん危険や困難はつきものですが、私利私欲をふたりの利益に変えることによって得られる、より素晴らしい状態と満足に比べればあまり問題ではないのです。
 何年か前に、ある新聞から切り抜いておいたジェンキン・ロイド・ジョーンズの記事の中にこうあります。「若い人たちの中には、結婚とは、一年中花が咲いているタチアオイの木に囲まれたかわいらしい家のことであるというイメージを持っている人が、実に数多くいらっしゃるようです。彼らは、いつまでも若くハンサムなだんなさんが、いつまでも若く美しい奥さんの待っているその家に帰ってくるものだと空想を抱いているのです。やがてタチアオイの花もしぼみ、倦怠と請求書が姿を見せ始めると、離婚訴訟で裁判所は大混雑になるのです。・・・・・・人生は蒸気機関車で旅行するようなものです。予定よりは遅れますし、ほかの列車の通過待ちもしなければなりません。また煙を吐き、粉塵を撒き散らし、石炭の燃えかすを出し、ガタガタと揺れながら走ります。美しい町並みにうっとりしたり、快適なスピードに心を躍らせたりするのは、ごくまれにしかありません。要は、その汽車に乗車できたことに感謝することなのです。
 皆さん、大切なことは、手を取り合い、晴れているときも嵐のときも、愛する伴侶と共に旅行を楽しむことなのです。決意をして努力をすれば、だれにでもできることなのです。


4つのいしずえ
 以前にも申し上げたことかもしれませんが、家庭を治め、守って行くための4つのいしずえを提案したいと思います。もし皆さんがこれを実践するなら、人生は豊かになり、多くの素晴らしい実が結ばれ、永遠にわたって喜びが得られるに違いありません。

1.お互いに対する尊敬
 まず最初に、私はお互いに対して尊敬することを選びたいと思います。私たち一人一人は別個の存在です。一人一人が個性を持っているのです。この個性の違いを認める必要があります。そして認めたうえでその違いをできるだけなくすように、夫婦は一生懸命努力しなければなりません。しかしここで考えておくべきことは、そうした違いが厳然と存在し、しかもその違いがすべて望ましくないものとは限らないということです。個性の違いを度外視して、お互いに尊敬するのです。事実、個性が異なっているからこそお互いの関係はさらに興味深いものになるのです。
 私が長い間感じていたことなのですが、結婚生活における幸福とは、ロマンスのようなものではなく、むしろ伴侶が心に何の心配もなく、満ち足りた生活が送れるよう配慮することだと思います。これには弱さや失敗を喜んで許すことも含まれます。
 ある人はこう言っています。「愛は盲目ではない。愛は人を盲目にするのではなく、より多くのことを見えるようにするのである。しかし多くの長所が見えるので、短所はあえて見過ごすのである。」(ジュリアス・ゴードン「宝の箱」チャールズ・L・ウオルス編)
 短所を見るのをやめ、長所を見るようにしなければならない人が大勢います。ブース・ターキントンはかつて「理想な夫を持っていると思っている女性は、すべて理想的な妻である」と述べています。(「長所を求める」より) 残念ながら、女性の中にはご主人を自分の理想に合うように作り変えたいと思っている方がいます。またご主人の中にも、妻を自分の理想の標準に従わせることが、自分の特権だと考えている方がいます。しかしその通りにいくことはありません。口論と誤解と悲しみを招くだけです。
 お互いの興味に対しても尊重し合う必要があります。個人の才能を伸ばし、表現できるような機会を与え、励ましてあげるべきです。奥さんに才能を伸ばすための時間や励ましを与えないご主人は、家庭や子孫に恩恵をもたらす祝福を自分自身や子供たちから取り去っていることになるのです。夫と妻のどちらかが劣っているとか優れているとかという基準はありません。
 女性は、家にいて子供を産むだけだと言う人がいます。私は、そうした間違った意見に怒りを覚えています。これは気の聞いた表現かもしれませんが、真実ではありません。もちろん私たちは子供をもうけることは大切だと思っています。よい家庭にあって幸福な子供をもつ喜びよりも大いなる喜びはありません。妻は子供をもうけるだけでなく、子供の成長過程を通じて世話をするという、より思い責任を負っています。 したがって夫はそうした妻を思いやり、妻が健康と体力を保てるように助けなければなりません。結婚した男女は、夫婦関係のあらゆる面において、自制を心がけるべきです。
 夫の皆さん、妻の皆さん、お互いに尊敬し合ってください。お互いの尊敬に値するよう生活してください。また親切、自制、忍耐、寛容を示し、真実の愛情をもって接し、細かいことにまで口出ししたり、権力を行使しようとしたりすることのない、互いへの尊敬の心を育んでください。

2.柔らかい答え
 2番目のいしずえに移ります。ほかに良い言い方が見当たらないので、柔らかい答えと呼びます。
 ずっと昔にさかのぼりますが、箴言の著者はこう述べています。「柔らかい答えは憤りをとどめ、激しい言葉は怒りをひきおこす。」
 私は男性や女性から、コミュニケーションがうまくいかないという不平をたくさん聞きます。私が単純なせいかもしれませんが、私にはどういうことなのかよくわからないのです。意思を伝えたいのなら、会話をすれば良いのです。コートシップの期間(求愛時代)は、そのようなご夫婦も気持ちがよく通じあっていたはずです。結婚後も続けて一緒に話し合うことができないのでしょうか。お互いに心を開いて、思ったままに楽しく自分の興味や問題やチャレンジや望みについて語り合うことができないのでしょうか。
 私は意思の疎通は本質的にはお互いに話し合うことのように思います。静かに話しましょう。静かな会話は愛の言葉です。それは平和の言葉です。声が荒々しくなると、小さなすれちがいが大きなけんかになってしまいます。
 結婚生活においては、相手ではなく、自分を治めることが必要になります。夫の皆さん、妻の皆さん、覚えておいてください。「怒りをおそくする者は勇士にまさ」るのです。柔らかい答えができるように訓練してください。そうすることにより、家庭が祝福され、生活が祝福され、夫婦の関係が祝福され、子供たちが祝福されるでしょう。

3.金銭面でのきちょうめんさ
 3番目のいしずえは金銭面でのきちょうめんさです。私は、結婚生活において一番大きなトラブルを作るのは、ほかの理由が全部合わさったものよりも、お金の問題が一番大きいと思います。
 私たちは人をひきつける公告や、巧妙な販売術が氾濫している時代に生きています。それらはすべて私たちに浪費させることを目的としたものです。浪費癖があると、どんなにほかの面で恵まれていようと、結婚生活はうまくいきません。私は、夫婦それぞれに毎日の生活に必要なものを自分で買う自由を与えると同時に、大きな出費については必ず協議し、意見をまとめるようにすればよいと思います。大きな出費について夫婦で共に話し合い、ほかの人からも意見を求めるならば、軽率な判断や無分別な投資、その結果として起こる損失、破産は少なくなるでしょう。
 伴侶であるお互いに対して正直に生活してください。また他人に対しても正直に生活してください。負債の支払いを期日通りに済ませることを、生活の大切な原則としてください。お互いに相談し、決断するときはふたりの意見を一致させてからにしてください。そうするときにお金の問題は小さなものになり、お金のことで言い争うことはなくなるでしょう。

4.家族の祈り
 家族に築かれた最後のいしずえは、家族の祈りです。
 私は、家族が一緒に同じ気持ちで祈る習慣ほど、生活に良い影響を及ぼすのに効果的なものはないことを知っています。(注:キリスト教では家族が一緒に神さまにお祈りする。仏教では家族が一緒に仏壇に手を合わせる。等が考えられます。)私たちが共に心を一つにして祈る時に、結婚生活を苦しい者にしているような小さな障害も、問題にはならなくなるでしょう。
 毎日祈ることによって、生活にほかの何者からも得られないような心の平安と喜びがもたらされるでしょう。また夫婦の関係は長い年月を経てむつまじいものとなるでしょう。愛情が深まり、お互いに対する感謝の気持ちもより大きくなるのです。
 子供たちは祈りのある家で生活することによって、温かいものに包まれているという気持ちになるでしょう。また、両親を愛するようになるでしょう。また子供たち自身の心にも、人を尊敬する気持ちが育つようになるのです。子供たちは静かに話される優しい言葉を聞きながら、平安を学ぶでしょう。また、自分自身に正直に生活し、伴侶や友人たちに対しても正直に生活している両親によって守られるでしょう。子供たちは、両親が祈りの中で、大小にかかわらず人生や毎日の生活で得られる祝福に感謝しているのを聞いて、感謝する精神を身につけていくでしょう。
 皆さんの伴侶との間柄は長い年月の間にむつまじく堅固なものとなり、永遠にわたって続いていくことでしょう。お互いに対する愛と感謝は深まり年を追うごとに、エリザベス・バレット・ブラウニングの詩にあるように感じることになるのです。

 あなたをどれだけ愛しているか、それをお教えしましょう。
 私はあなたの口にせぬ望みを満たせるほど、あなたを愛しています。
 私は太陽の光の下でも夜のろうそくの炎の下でも、あなたを愛しています。
 私は権利のために戦う男のように臆せずに、あなたを愛しています。
 私は称賛を顧みない戦士のように純粋に、あなたを愛しています。

 息をする間も、微笑む間も、涙を流す間も、私の人生の一瞬一瞬すべて、あなたのことを愛しているのです。
 もし神さまがお許しになれば、私たちが死んだ後も、私はあなとを今まで以上に深く愛することでしょう。
                                (ポルトガル人のソネット 14番)
 結婚の神聖な誓約のもとで、互いに永遠に感謝し合っているご夫婦の皆さんの上に、大いなる祝福がありますように、祈念しています。

 コメント:ヒンクレー氏は現在90歳を越した年齢ですが、ご夫婦共に健康で、多くの子供や孫、ひ孫に囲まれて仲睦まじく生活しておられるそうです。


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